復興のための事業として
「いちごハウス」で果樹農業を始めていました。
ここは「いちご団地」です。
地下水は塩水のため、3キロ先から送水。
土壌汚染の心配もあることから路地栽培をやめ、
温室を保持するための熱源は
太陽光で得ています。
「災害廃棄物処理施設のほうが賃金が高いから、
いちご農家で人を集めようとしても
地元の人がこなくてね」と言いながら、
「でも、震災復興特別交付税は
あと1年ぐらいで終わっちゃうから、
息の長い農業の方が長く就労できるんですよね」と
苦労と努力を語ってくださいました。
すぐ向こうに海が見える中浜小学校。
震災時、子どもたちは屋上に避難して一晩を過ごし、
翌日全員がヘリコプターで救助されました。
写真中央にある青い看板が、
津波が来た高さを示しています。
「もう学校としては使えないけど、防災学校のような形で残したい」とおっしゃっていました。
周囲の民家はすべて流されてしまいましたが、
校舎の柱や階段などの骨格は
これだけしっかり残っています。
公共施設が頑丈に作られているというのは
こういう形で命を守るのだと思いました。